皆がすなるブログというものを、車中泊限界営業マン(以下、限界マンといふ。)もしてみむとて、するなり。
(このブログは日常雑記配信ブログです。主に訪問販売の仕事をしている筆者が思ったことや感じたことを自由に発信していきます。)
簡単にプロフィール紹介↓
- 経歴 高卒→公務員→潜水士→営業マン→?coming soon…
- 年齢 27歳
- 職業 営業マン(訪問販売)・副業として潜水士
- 生活スタイル 基本車中泊(現在歴約4ヶ月)
- 体力 普通
- 気力 限界。
今さらながらブログのホーム画面?を一新してみました。まあ少しは良くなったかなと。
上の経歴の欄を見て分かるとおり、仕事の気力限界のため次の道を考えております。車中泊が限界というわけではないです。(強がり)
そして今日、ようやくGoogleアドセンス(広告)の審査依頼をしました。
いや、やっとできました。ずっと色々な記事を徘徊して調べて試してもうまく行かず、、結局アドセンスのサイトを消去してもう一度やり直したらうまく行きました。審査が通ることを祈るのみ。。
限界マン14日目(R7.7.21(月)海の日)
ブログを書き始めて2週間になる。
今まで、日記感覚といえどもずいぶん手の込んだことをしていた気がするが、そもそも今のPV数は「2」とかである。
自分の母親にはこのサイトの存在を教えている(生存報告用。)が、他には教えていない。
知り合いに拡散しまくろうかとも考えたが、本当に自分の力で広めてやる、という気持ちがある。
まあ今のところ、広まってくれればいいな、くらいのモチベーションである。
だから、そこまで手の込んだ記事でなくてもいいのである。

ただめんどくさくなっただけなのでは?前の記事もメンタル回とか言ってたけど、ただのネタ切れなんでしょ?
、、、。
最初の記事にも書いたとおり、これは私の備忘録でもあるということを念頭にいれてほしい。
色んな人に読んでほしいけど。
私は日記を書いているだけ。ただそれだけ。
まあ見て欲しいけど。
その見てほしい、とめんどくささは別に「矛盾しない」と思う。だからなんくるないのである。
とまあ、ここまで2週間続けてきたブログだが、そのきっかけは「毎日日記を書いているから、どうせだったら金儲けみんなに見て楽しんでもらおう」というのがコンセプトである。
では何故日記を毎日書いているのか。ということについて触れてみようと思う。
その前に、皆さんは長生きしたいと思うだろうか。

藪からスティックに….今を生きるので精一杯でそんなこと考えたこともないわ。
という方も多いであろう。筆者は、「長生きしたい。」
理由は単純に、この世界が良くも悪くもどう変わっていくのか。どんな発展をするのかをこの目で、体で体験したいからである。

短くても太い人生を送れればそれでいい。
そんな考えの方もいるだろうが、筆者は「他人や家族に迷惑をかけない範囲で」長生きしたいとは思う。
話を戻すが、人は老いるにつれ、時間の流れが早く感じるという現象はご存知だろうか。読者も経験があるのではなかろうか。
その現象には名前があり、「ジャネーの法則」と呼ばれるものである。
名前の由来は、子どもが「じゃーねー」といって離れていくように、自ら感じる時間の長さも少しずつどんどん離れていくというもの。。ではなく、19世紀のフランスの哲学者ポール・ジャネ氏が発案し、その甥の心理学者であるピエール・ジャネ氏の著書において紹介された法則だそう。

その時代は、「あ!あそこにいるのはポールジャネじゃね?その隣はピエールジャネじゃね?」って会話もあったのかも!
ジャネジャネうるさいのは置いといて、同じ1年でも、「1歳の時に感じた1年と、50歳の時に感じる年」では、後者の方が短く感じられる。ということ。
それを最初に知ったとき、「いつの間にか終わってる1年」って凄くもったいない。と思ったのである。
であれば、1年を長く感じられる方法はあるのか。
どうやら「新しい体験、刺激的な体験が多い」、「体験を記録する」と、時間が長く感じる。
逆に「毎日同じことの繰り返し」をしていると短く感じやすいようだ。
どうしてそれをすると長く感じられるのか。少し考えてみた。
たとえば、1日単位で考えてみる。朝起きて何をして、出勤してどんな作業をして、、と思い返すと疲れた1日だった。と思う。
それが1週間単位で遡るとどうだろうか。「あの案件大変だったな」とか、多少は覚えているものの何をしていたのか忘れることが多々ある。
そこで思う。「忘れること」と「何もない」ことは似ていることに。
確かに、この世に存在して、何かをしていたはずである。しかしそれは思い出せなければ「無かったこと」にもなり得てしまうのだ、と。
その「無かったこと」になった1日1日積み重ね。それが「1年を短く感じさせている」。

うーん、わかるようなわからないような。
言語化が難しいが、その時は確かにそう考えていたと思う。
確かにあった1日1日。その時は必死だった。それも1週間は覚えていられるかもしれないが長い目で見ると埋もれて忘れてしまう。そして無かったことになってしまう。
それは何だか凄く悲しい気がするのである。頑張った自分ないがしろにするような感覚とでも言うのだろうか。
ただ、書いておくだけで、確かに存在した自分を未来から見ることが出来る。
そうすると、「忘れて無くなる日」が、「無くなる」のである。
それが、「長い一年」に繋がる。
刺激的な経験は記憶に残りやすい、という観点から「長い一年」に繋がるのだろうが、それも埋もれて忘れればそれまでである。
長生きするなら、忘れる時間が多くなり、「あれ?今まで何してたんだろ?」という自体は非常に避けたいものである。(スカスカ人間)
それに、過去の大変だった出来事も、嫌なことは忘れるのもいいが、未来から見れば「頑張ってたなあ」と振り返ることも出来る。ちょっとした楽しい出来事も思い出せる。
どうせ生きる時間が同じなら、水を限界まで吸ったスポンジのように、溢れるほどの「思い出」を作って覚えていたいと思ったのである。
少々長くなったが、筆者が日記を書くようになった理由は以上である。
別に事細かに記録する必要はないのである。1日数行でもいい。感じたこと、思ったことを書いてみてはいかがだろうか。
そうすれば、未来から見たその日は「忘れ、無かったことになる1日」ではなく、「確かに存在する1日」となる。
人生の終わりには、「長い人生だった」と言えるようになりたい。

日記始めるのにこんな壮大な理由で始める奴いる?まあ、ストレス発散にもなるみたいだし誰に見せるわけでもない、1行だけ書いてみようかな。
↓限界マン、X始めました。


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